【21.09.01】ホテルマネジメント雑学ノート(Vol.100)『惚れるホテルを創る 愛されるホテリエたち』



私(宿屋大学 代表 近藤寛和)は、10月1日に、古巣のオータパブリケイションズから、書き下ろしノンフィクションドキュメンタリー『惚れるホテルを創る 愛されるホテリエたち』を上梓いたします。

書籍編集者として、そして著者として私はこれまでたくさんの書籍の出版に携わってきましたが、久しぶりに手掛けた今回の新刊には、特別な思いがあります。私にとって格別な一冊です。それはもう、「この一冊を書くために生まれてきた」といってもいいくらい。集大成というとちょっと大げさですが、私のこれまでの人生、キャリアの帰結のような存在です。

●零細ながら商売人の家に生まれたこと。
●学生時代、バックパッカーを長らくやっていたこと。
●オータパブリケイションズに出合えたこと。
●そこで、愛すべきホテル志望の学生との交流があり、自分自身彼らに大きく変えられたこと。
●中谷彰宏さんに出会って、ベストセラー『ホテル王になろう』を創れたこと。
●ホテレスの記者として様々なホテル・旅館や経営者を取材できたこと。
●コーネル大学ホテル経営学部を密着取材したこと。
●原忠之先生や、マリオットで30年以上マネジメントをやった飯島幸親氏に出会い、グローバルホテルビジネスを知れたこと。
●宿屋大学を12年前に起業したこと。
●グロービスに通ったこと。
●YMCAや立教大学で、素敵な学生と出会えたこと。

そして、

●「コロナ禍」。

こうした、私の人生で起こったすべての要素が絡み合い、影響しあって、「本書を書かねば!」と思わせたのかもしれません。

そして、5人の愛すべきホテリエとの出会い。
彼らの人生やホテルに込める熱い想いをノンフィクションドキュメンタリーとして綴りましたが、実は、今回は、かなり私が多くを語っています。これまでの経験、知見、情熱、ホテル業界人の皆様への愛情などを総動員して書き上げたのが本書です。ホテルや旅館といった宿泊事業に携わる方への大きな感謝の気持ちを込めて・・・。

よく「寝食忘れて没頭する」といいますが、寝食しながら書きました。つまり、夢の中でも構想を練り原稿を書いていたほど、夢中になって創作しました。


本書の構成は、

プロローグ これからのホテルを思索する旅立ちに際して
第一章 ホテルの意義を再定義する
第二章 ホテルはライフスタイルの試着室(龍崎翔子)
第三章 常識の対岸に、人生は広がっている(吉成太一)
第四章 ロマンのためにソロバンを弾く人でありたい(濱田佳菜)
第五章 街ととけあい、人をつなげる(リンナス 松下秋裕氏&ホテルみるぞー)
エピローグ ポストコロナの「ホテル」と「ホテリエの働き方」
あとがきに代えて

となっています。


出版は10月ではございますが、ブログ「ホテルマネジメント雑学ノート」の100号を記念して、「プロローグ」と「第一章 ホテルの意義を再定義する」を連載で、公開したいと思います。


●新刊『惚れるホテルを創る 愛されるホテリエたち』のマクアケプロジェクト




プロローグ 〜なぜ本書を書こうと思ったか



二〇二〇年一月某日朝六時、NHKから流れてきた一本のニュースで私の眠気は一気に覚めた。
「中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため、中国政府は春節期間の海外への団体旅行を禁止した」
 ほんの数分の報道だった。しかし、このニュースを聞いた瞬間、それまで対岸の火事にしか思えていなかった新型コロナウイルスが、私には一気に自分にも近い出来事に思えた。「これは日本の観光業界に大きな影響を及ぼすに違いないし、自分の生活にも大きく関係してくるだろう」と……。

二月三日、横浜港に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号において七〇〇人を超える感染者が発生、同二八日は感染拡大が顕著だった北海道において「緊急事態宣言」が発出された。三月に入ると欧米各国でも感染が急拡大、世界保健機関(WHO)は「パンデミック」に相当すると認定。このころからマスクがドラッグストアから姿を消し、「東京五輪・パラリンピック」も延期が決定、高校野球をはじめとした恒例行事も次々と中止となっていった。「三密回避」が叫ばれ、「緊急事態宣言」の発出と続いた。「新しい生活様式」、「ソーシャルディスタンス、「ステイホーム」……、そんな新語が飛び交うようになると、我々はこの未知の敵との闘いが長期戦になるであろうことを予感しだしたのだった。



八方塞がりとなった宿泊業



宿泊業界における最も衝撃的だったのは、「WBFホテル&リゾーツ(株)が大阪地裁へ民事再生法の適用を申請」というニュースであった。最大二七のホテルを全国に展開していたホテルチェーンが破綻したのだ。四月の日本全体のホテル稼働率は、前年比八三・五%の減少、ADR(平均客室単価)は前年比四七・五%減、全体の宿泊者数は七七%の減少となった(STR二〇二〇作成、PwCコンサルティング「COVID19:ホテル業界への影響」より)。
 
四月某日、知り合いが支配人を務める都内の宿泊特化型ホテルを数軒訪問した。銀座の某ホテルにその日の稼働率を聞くと、「稼働率どころじゃないですよ、二部屋しか埋まっていません」と苦笑された。上野のホテルに至っては、「今朝チェックアウトされたお客さまが出発されて、いまは一組も宿泊客はいない状況です」と嘆いた。

二〇一九年までの数年間は、インバウンド需要の急伸によって日本の宿泊産業は、わが世の春を謳歌するかの如く絶好調であったが、このインバウンド需要が皆無になった途端、宿泊産業は一気に元気を失った。不要不急の外出や県境を跨ぐ移動の自粛によって出張は激減しオンラインコミュニケーションに代わっていった。おまけに、三密回避によって宴会・集会という需要も壊滅状態になった。

宿泊産業は、観光ホスピタリティ産業と呼ばれている。「ステイホーム」という呼びかけは、「観光するな」ということであり、「人と会うな」というのは、ホスピタリティの発揮のしようがないということであり、「集うな」というのは、宴会やイベントができないということである。つまり新型コロナウイルスは、「宿泊する場所の提供」や「会食や集う場所の提供」というホテルの機能を使ってはならない世の中に変えてしまったのだ。
ホテル経営者、ホテル業界人の憂いは日に日に増していった。経営者たちは、客室稼働率が数%に落ち込み、売り上げが立たない状況下で社員やスタッフの雇用をどう守るかに頭を悩ませた。雇用調整助成金を得るために休業となり、時間をもてあそぶようになったホテルパーソンたちの多くは、いつ仕事を失うか、戦々恐々とした日々を送っていたのだった。


ビフォーコロナには戻らない



この感染禍は、リーマンショックや東日本巨大地震を超える悪影響を宿泊業界に与えている。日本のホテル史上最大のピンチだ。GOTOトラベルが始まった二〇二〇年七月から約半年間は、ホテル・旅館の利用が激増したものの、結局はカンフル剤でしかなく、停止後の需要は再度低下した。年が明けて二〇二一年になると、大手ホテル企業のなかにも早期退職者を募るといったリストラ策に走るところも目立ってきた。収束が先か、資金ショートが先か、ホテル・旅館企業は、体力勝負になっている。私の知り合いのホテル経営者のなかには、宿泊業を諦めてレジャーホテルに切り替える例も出てきた。

取り巻く環境も社会の在り様も、人々の価値観も大きく変わった。そして、ビフォーコロナには戻らない。では、ポストコロナの世の中はどう変わるのか。これからのホテルはどう在るべきか。従事するホテリエや働き方はどう変化していくのか。ステイホーム期間中、私はひたすらこの問いを考えた。朝から晩まで仕事部屋に籠り、資料や本を読み、識者が語る動画をチェックし、近未来の社会の在り様を夢想した。

ひとつ確信したことがある。それは、「ホテルはその存在意義を変えるべき時期にある」ということ。「存在を再定義する必要がある」ということだ。〈宿泊〉という需要が大幅にシュリンク(縮む)してしまったのだから、「ホテルは宿泊の場所」という定義をいったん脇において、新しい存在意義、違う提供価値を考えていくべきではないか。宿泊需要一本足打法はもはや通用しない。たとえインバウンドが戻っても、単なる宿泊インフラとしての機能だけでは選ばれず、価格競争を強いられ、ビジネスは厳しくなるばかりだろう。

富士フィルムがフィルムメーカーからヘルスケア用品事業で再生に成功し、テレビやオーディオといった家電メーカーだったソニーが、音楽や映画、ゲームといったコンテンツビジネスで大半を稼ぐ企業に代わり、自動車メーカーから脱却しようとしているトヨタが、「Woven City(ウーブン・シティ)」というスマートシティを建設しはじめた。求人広告から始まったリクルートが、広告をコンテンツ化して企業と消費者をつなぐマッチング・ビジネスを横展開して住宅や車、旅行や結婚情報の分野でもデファクトスタンダード(事実上の標準、トッププレイヤー)の地位を握り、短期間で大幅なダイエットを実現させるパーソナル・トレーニングジムでメジャーになったライザップが、「結果にコミット」というコアコンピタンスを横展開して英会話やゴルフトレーニングに参入した。

このように事業ドメインを変えたり、自分たちの創造価値を再定義したり、強みを深掘りして横展開することで成功した事例は多い。これらと同じようなイノベーションを宿泊事業においても起こせないだろうか。二〇二〇年の四〜八月まで、いつ収束するかも分からず先の見えない不安の中で、私自身も陰鬱な気持ちになりつつも、〈宿泊〉に代わるホテルの価値創造のカタチを探っていた。



立ち上がったニュータイプのホテリエたち

 

苦境に立たされ、狼狽えるばかりのホテル経営者・業界人がいる一方で、「下を向いてばかりいてもしょうがない」と言わんばかりに、打ち手を考え、発信し、行動に移しているホテル経営者やホテリエもいた。その代表例は、星野リゾートの星野佳路代表だろう。マイクロ・ツーリズムという新語を作り、テレビやネット番組に出演しては、近隣住民にホテルや旅館を利用していただくためのプロパガンダを熱心に行なった。結果、「マイクロ・ツーリズム(近隣観光)」は、流行語のように語られ、ステイホームの自粛に耐えられなくなった人たちが動き出していった。
 
星野代表だけではない。若手経営者、若手ホテリエのなかからも、柔軟な発想力と行動力でホテルの新たな活路を見出してチャレンジし出している人たちが目立ってきたのである。彼らは、私がこれまで出会って来なかった、いわばニュータイプのホテリエである。ホテル業界人の多くは人好きであり、最上級の接客がしたくてホテルに就職した人ばかりであるが(それはそれで素晴らしいことである)、「ホテルというビジネス」に魅力を感じて事業を行なっている新しいタイプの若手が出てきたのだ。彼ら彼女らは、この業界の既成概念や枠組みにとらわれない発想をし、デジタルネイティブである優位性を駆使して新しいホテルの価値創造をし出したのだ。

私は、そうしたニュータイプのホテリエに強く惹かれた。感染禍で大打撃を浴びて苦しんでおり、若者の就職人気もなくなりつつあるこの業界において、新しい未来のカタチを創り、牽引してくれる存在になっていくに違いないと確信した。そしてこう思った。

「彼らの生き方やホテルビジネスのやり方を取材させていただき、執筆するというプロセスで、これからのホテルの在り方、ホテリエの働き方はどうあるべきかを考えてみたい」

私の本業は、宿泊業のビジネススクールの経営・運営である。本を一冊書くという行為は、膨大な時間を要する仕事であり、(少なくとも私は)書籍を一冊世に送るという仕事には時間と労力を惜しまず一二〇%の力を発揮したい。よって、本の執筆を始めるという決断は本業に支障をきたすかもしれない。それでもこの取材・執筆・出版という仕事のやり甲斐は計り知れないと感じた。本業のボリュームを削ってでもやりたいと心から思った。そして、古巣のオータパブリケイションズの林田研二編集長に連絡し、出版の協力を仰いだのだった。


これからのホテルを思索する旅立ち



これが、本書の誕生の経緯である。このあと登場する五人のホテリエは、必ずしも日本を代表する「ホテリエトップ5」というわけではない。「ポストコロナのホテルの在り方、ホテリエの働き方はどうあるべきか」を考えるための最適な取材対象である。
五人は、人間として、そしてホテリエとして惚れ込んだ若者なのだが、私が魅力を感じる人物には共通点がある。それは、何を〈考えたか〉でもなければ、何を〈言ったか〉でもない。何を〈やったか〉ということである。世の中、社会に対してアウトプット(価値創造)を着実にしているかどうかである。この五人は自らの行動で新しい価値の創出を続けているホテリエたちだ。

だから私は惹かれている。そして、自分の人生を本気で最良のものにしようとしている彼らの生き方、ホテリエとしての哲学を多くの人に伝えたいのだ。
 
本書はそんな思いで生み出された一冊である。

日本社会に敷かれてきた従来のレールの先が、濃い霧に包まれて見通せなくなっている。あるレールの先には貧民街しかないかもしれないし、あるレールは途中で途切れているかもしれない。またあるレールの先にあるのは崖と深い谷底かもしれない。そうした時代においては、既存のレールに乗るよりは、自分が進みたい未来に向けて自分でレールを敷いていく生き方を選択すべきではないか。彼らの生き方は、それが正しいことを示唆している。

本書を通して、五人の人生を辿りながら、これからのホテルを思索するジャーニーを私と一緒に楽しんでいただきたい。そして、経営者の方にとっては、自ホテルが目指す方向が明るく照らされ、現役ホテリエの方にとっては、自分も新たな挑戦をしてみたいと思えるきっかけになれば幸いだ。      

(「第一章 ホテルの意義を再定義する」に続く)


●新刊『惚れるホテルを創る 愛されるホテリエたち』のマクアケプロジェクト



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