【14.06.03】第五回「日本のおもてなしは競争優位になるか 〜シンガポール×ホスピタリティビジネス〜」 by 臼杵さおり(シンガポール在住)

トイレのホスピタリティ


 私のこちらでの生活が始まって半年がたちました。
 シンガポールのサービスへの感想は少しずつ変化してきました。というより、私の方がこの場所に合わせて変化してきた(鍛えられた)という方が正しいかもしれません。来て間もないころは、「サービスがいい!」と感じることが多くありました。続いて、「ありえない!」と叫ぶ日々が続き…現在は、最初に感じたときとは違った意味で、「サービスが発展する可能性はとても高い!ひょっとしたら日本以上に…」と感じています。今日までの感想をまとめると、「サービスはイマイチだけど、ホスピタリティはピカイチ。日本や欧米とは違ったサービスとホスピタリティのベストミックスが生まれそう!」という感じです。



 シンガポール航空に乗ってシンガポールの玄関口であるチャンギ空港に降り立つ。ここまでのサービス評価はとても高いです。機上でのおしぼり、ハーゲンダッツ、最新の機内設備、きれいなお姉さん。空港ではビザを持っていれば税関に並ぶことなく、スイカをタッチするように自動改札にパスポートをタッチして入国。モニターにはWelcome to Singapore! Ms Saori Usuki と映し出されます。データを読み込んでいるので当然といえば当然だけど、分かっていてもちょっと嬉しいです。
 同じく、空港のトイレには手洗い場のところにタッチパネルのモニターが設置されています。「きれい、よくない、掃除してほしい、床がぬれている」などの選択ボタンがあり、「床がぬれている」にタッチすると、速やかにモップを持って来てくれます。これにはとても感心します。


 一方、日本では、空港やサービスエリアの手洗い場に「このトイレは○○が掃除いたしました」という小さなボードをよく見かけます。私はいつもこれに違和感を覚えるのです。
 このボードの目的は一体なんでしょうか。考えたところ、2つあると思います。一つは外向きの理由。利用者に対して、「掃除する人がいるのだから、なるべくきれいに使ってね」という無言のプレッシャー。
もう一つは、内向きの理由。清掃担当者に、「アナタの名前を出しているのだから責任を持ってきれいにしてね」という、同じく無言のプレッシャー。どちらにしても、このボードの違和感は、個人の名前が書いてあるのに、メッセージの本質的な送り主が見えないことにあります。
 このメッセージの送り主は、清掃担当者に名前を書かせている清掃業者の企業経営者です。実はこの経営者は利用者のことも、清掃担当者のことも思い遣っているように見せて、その腹はどちらのことも思い遣っていないのではないでしょうか。「トイレ清掃はコストだから、手間かけさせないで」というのが本音のような気がするのです。公共のトイレという、パブリックでプライベートな空間に、本来、個人を識別する「名前」は不要なはずなのに、会社の都合という「社会」を持ち込んだところに違和感が残るのです。
 公衆トイレのあるべき姿は、「どの方にも、清潔に気持ちよく用を足し、身支度を整える場所」です。しかし沢山の人が利用するなかで、その快適性は徐々に損なわれていきます。快適性を維持するには、「使用者がきれいに使う」ことと「頻繁に清掃する」ことの2つが必要です。しかし、ここで清掃業者は考えます。清掃はコストがかかるのでなるべく回数を減らしたい。それなら名前を掲示するボードを置いて、清掃者と利用者双方に責任を持たせようと。これが企業経営者の本音なのです。



 キャノンではセル生産方式(ベルトコンベアではなく、一人で製造のほとんどの行程を担う多能工技術者による生産方式)でコピー機を製造する際、最後に、コピー機の内側に製造担当者の名前を刻印しているそうです。
 なぜお客様に見えない「内側に刻印する」するのか。一つは、担当者への責任と満足感のため。これは、上記のトイレボードと期待する効果は同じです。しかし、外側と内側ではその意味が異なる。実際にコピーをする人からは、誰が製造したかは分からない。ただ、キャノン製というだけです。万が一不具合があれば、それは製造担当者個人の責任ではなく、キャノン全体が責任を取ります。つまりキャノンは、一人でコピー機を作り上げた誇りを従業員に感じてもらいながら、「不具合があった場合は会社が責任を取るよ」というメッセージを伝えたいのだと思います。

 ホテルのロビーや温泉宿のトイレはどうでしょうか。常にきれいです。そこに名前のボードはありませんが、落ち着きます。それは「きれいである」という状態の中に、人の気配を感じるからです。
 名乗っている方が不気味で、名無しの方が安心感がある。不思議ですね。そしてその場がきれいだと、自分もきれいに使わなきゃ、と体が勝手に動いてしまいます。それは「きれいな状態」そのものがメッセージとなり、利用者の無意識に働きかけるからです。このように相手に言葉で何かを強制するのではなく、自然とそうなるように場所を整えること、これをホスピタリティマネジメントでは、「述語的な状態」と呼び、理想的な状態として挙げています。
 つまり、述語的な状態であれば清潔空間は黙っていても維持でき、逆に主語的な状態(皆が自分の都合ばかりを優先させる状態)であれば、トイレはどんどん不潔・不衛生になっていくのです。
 また「きれいである」という状態は、清掃担当者にも、「これくらいきれいな状態に保つのが普通である」というメッセージにもなります。つまり、「きれいな状態」が次の「きれいな状態」を生み続けるわけです。旅館や、清掃を自分たちで行っている工場では、「気づいた人がさっとふく」文化が根付いています。
一方で、シンガポールのように、いろんな文化を持つ従業員がいたり、多様なトイレ文化の人が利用する国際空港のトイレをきれいに保つにはどうしたらよいでしょうか。やはり基本は、きれいな状態をなるべく長い時間保つことです。しかし当然、上記のような「気づいた人がさっとふく」暗黙知は期待できない。これを仕組み化するにはどうしたらいいのかを考えた末に、シンガポールはITの力を借りたのだと思います。「汚れていたらモニターをタッチして知らせて」もらい、きれいな状態を長く保つ。これも一つの最適解だなと思います。

「その注意書きは、不気味じゃないか?」、「誰から誰へのメッセージか?」、「記す場所は適当か」、「見る人をどんな気持ちにさせるものか」、「スタッフや利用者に責任を押し付けていないか」、「メッセージを効果的に伝えられているか」、「暗黙知が文化となっていない部分はITなど別の方法でフォローできているか」……。こんなことを考えていると、トイレ滞在時間がついつい長くなってしまうのです。









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